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テオドル フォン レルヒ(Theodor Van LERCH)
1911年(明治44年)1月12日、新潟県の高田(現・上越市)で、オーストリアのレルヒ少佐が陸軍の高田58連隊の青年将校にスキー指導を行う。 このレルヒ直伝の専修将校をスキー教官として長岡外史中将は新潟、長野を中心に 軍事だけではなく、一般の人達に普及させようと努力しました。中学・師範学校・郵便局・営林署・鉄道省・病院の院長先生達…とあらゆる階層の人たちに高田58連隊を解放して、スキーを普及しました。※日本スキー発祥記念館のHP 1月12日「スキーの日」は日本に初めて本格的にスキーが伝えられた日とされています。 |
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ハンネス・シュナイダー(Hannes SCHNIDER) オーストリア、サン・アントンの近く、シュトーベン生まれ。 1920年(大正9)山岳映画の巨匠、アーノルド・ファンクと製作した映画「スキーの驚異」を発表、 1924年(大正13)同名の著書を発刊。昭和5年(1930)3月、玉川、成城学園の招きで来日。菅平、池ノ平、 野沢温泉などで講習会を開催した。 「銀嶺の王者」シュナイダーの名はすでに広く知られ、各地の歓迎は熱狂的で、 実演や講演を通じ、アールベルグ・スキー術は国内に普及していった。 野沢温泉スキー場にあるスキー博物館にはシュナイダー愛用のスキー、靴などが展示してある。 |
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トニー・ザイラー(Toni SAILER) 1935年11月17日生まれ。アルペンスキーの聖地といわれるオーストリア、キッツビューエルの出身。 史上初のオリンピック三冠王。50年代のアルペンスキー界で無敵の強さを誇る。スラロームからダウンヒルまで(当時はまだスーパーGはなかった)すべての種目をこなし、1956年に行なわれたコルチナ・ダンペッツォ五輪で史上初の三冠王に輝いた。現役引退後、俳優に転身し、日本映画「銀嶺の王者」や「白銀は招くよ」 「黒い稲妻」などに主演。シャトレーゼリゾート八ヶ岳(旧ザイラーバレー)や安比高原ザイラーコースなどを手掛ける。 |
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猪谷千春(Chiharu IGAYA) 1931年(昭和6年)5月20日 国後島生まれ。2歳でスキーを始め, 16歳で 全日本スキー選手権アルペンの部優勝。 現IOC理事 社団法人日本トライアスロン連合会長 1956年(昭和31)1月北イタリアのコルチナ・ダンペッツォで開催された 第7回冬季オリンピックのアルペン回転競技で第2位入賞、冬季オリンピック史上初の日本人メダリストとなった。猪谷は2回目の第6旗門でバランスを崩し、米国などから旗門不通過ではないのか、というアピールが出たが、通過していたと認められて銀メダルが決まった。 志賀高原の丸池に神津コテージ猪谷記念館 がある。 |
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ジャン・クロード・キリー(Jean Claude KILLY) 1943年8月30日フランス、ヴァルディゼール生まれ。 1967/68シーズンから始まったアルペンスキーワールドカップで最初の総合優勝を達成し翌年も総合優勝を達成した。 1967年、ウェンゲン(SUI)とキッツビューエル(AUT)で滑降と回転の両方に優勝。 この記録は現在でも破られていない。1968年グルノーブル(FRA)オリンピックの3冠王。1956年のコルチナ・ダンペッツォ(ITA)でのトニー・ザイラー(AUT)に次ぐ 2人目の三冠王になった。 引退後は、実業家に身を転じ「キリー」ブランドのスキーウェアは一世を風靡した。 |
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三浦雄一郎(Yuuichirou MIURA) 1932年(昭和7年)10月12日 青森県生まれ。 クラーク記念国際高等学校校長、潟~ウラ・ドルフィンズ代表取締役 1962年 アメリカ世界プロスキー協会 (IPSRA) の会員となり、 アメリカ・プロスキーレースで活躍。 1964年 イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加し、 時速172.084の世界新記録樹立。 1966年 映画「富士山直滑降」にてスキー界で初のパラシュートブレーキを使用。 1970年 映画「エベレスト大滑降」にて、アジア大陸最高峰 Mt.エベレスト、サウスコル8,000m世界最高地点 スキー滑降(ギネスブックに載る)。 1985年、世界7大陸最高峰からのスキー滑降を成し遂げるなど、世界的に知られるプロスキーヤー 2003年2月19日に父敬三(99歳)息子豪太(長野五輪モーグル日本代表)とともにモンブランヴァレーブランシュ氷河の滑降。 2003年5月エベレスト(8848メートル)に挑戦。22日午後0時10分(日本時間3時25分)登頂に成功。70歳でのエベレスト登頂は、世界最高齢記録。 |
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インゲマル・ステンマルク(Ingemar STENMARK) 1956年3月18日スウェーデン北部の小さな町ターナビー生まれ。 ワールドカップ86勝。神と呼ばれた天才スラローマー その技術、実績、 知名度等、あらゆる面でアルペン史に残る文字通りの伝説のレーサー。 1973/74シーズンのデビュー以来、ワールドカップではSLで40勝、GSで46勝をあげ、86回という通算勝利数はもう誰も破ることはできないといわれる大記録。 技術系のスペシャリストながら、ワールドカップ総合優勝も3回記録。 とくに70年代後半、全盛時の彼は、手のつけられない圧倒的な強さを誇り、GS14 連勝という驚異的な記録も持っている。 1989年志賀高原大会を最後に現役を引退。 |
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海和俊宏(Toshihiro KAIWA) 1955年4月24日山形県生まれ。 1974年日本ナショナルチームに参加。1974/75シーズンからアルペンスキーワールドカップに参戦。当初はゼッケン40番台だったが3年後の78年1月、オーベルスターフェン(西ドイツ・当時)で5位に入賞したときのゼッケンは1番だった。わずか3年間で東洋の島国の全く無名選手が世界の第1シードに登りつめた。 現在長野県北志賀よませスキー場にて海和スキースクール、ホテルカイワを経営 |
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アルベルト・トンバ(Alberto TOMBA) 1966年12月19日イタリアのボローニャ生まれ。 ”トンバ・ラ・ボンバ” 爆弾トンバの異名をもつ。 1987年11月27日セストリエールのスラロームで初優勝を上げて以来、引退する1998年までの10年間で50勝を上げる。ワールドカップにデビューして3シーズン目の87/88シーズン、ワールドカップで9勝、カルガリーオリンピックで2勝、計11勝をあげ、一気にスーパースターの座を不動のものにした。賞金制度の確立や,プライベートチーム,個々のスポンサー制度の確立も彼の力によるところが大きい。 1998年10月に引退を表明。 |